駆け足で彼らは向かう。
交わす会話よりも足音のほうがよく響き、その足音も淡々として、城内を見学する余裕はない。否、余裕も警戒心も持ってはいるが、呑気に観光する気などさらさらないのだ。
それは彼らのうちの一人が絢爛な建築物を見慣れているからだし、また別の一人は城内の装飾品に対し金銭と引き換えに出来る程度の価値しか見出していないからだし、別の一人はそれらに興味さえ持たず、また別の一人はそれらに心奪われそうになることがあっても、今の自分は役立たずなのだから足を引っ張ってはいけないと思っているからだ。
だから彼らの進行は静かで、密やかで、義務的で、その緊張感が否応なく、自分たちは不法な侵入者である、ということを常に自覚させられていた。
「来るぞ」
短く先頭のレ・グェンが言って、手近な部屋のドアを開ける。幸い空き部屋だったこともあって、彼らは迷いなくその部屋に入り込み、静かにドアを閉めて廊下側に聞き耳を立てる。
「いたか!?」
「いや、…まだ発見できていない」
「慎重に探せよ。相手は大人数だが…既に幾つかに分かれたかもしれん」
声の数は片手で足りるほどでも、具足の影響か、足音では人数が把握し辛い。
兵士たちの声が聞こえなくなるまで息を殺し、こちらの物音に外が何も反応しなくなったことを確認すると、彼らはほぼ同時に深く長い吐息をついた。
「はあ……城に入って連中との遭遇率は低くなっても、変に気を使ってちゃ意味ねえな」
「ごもっとも」
ヴァンの慣れない心労に満ちた呟きに、レ・グェンも苦笑気味で同意する。
「しかし、遭遇した相手を逐一気絶させてから移動しては、体力も時間も無駄にしてしまう。我々が存分に力を使うべきときは、退路の確保時のみにすべきでしょう」
「わかってるよ、んなこたぁ」
わかっているから疲れたぐらいは言わせろと、ヴァンは向かいの生真面目な金髪の青年を睨みつける。文句を言われた青年は、涼しい顔でそれならいいのですが、と何でもないように答えた。
そのやり取りに一瞬肝を冷やしたレ・グェンだったが、しかし彼らとて本気で争うつもりはないようだ。ヴァンは投げやりめいた態度で肩をすくめ、布が覆い被さった家具を一瞥した。
「しかし、でかい城だな。この部屋なんて、オレたちが取ってた宿より広いってのに使われてないんだろ」
「天下に名だたる共和国の城が、そんじょそこらの宿屋の一室に劣っちゃ問題だと思うがね」
「それもそうですね…」
感心したようにアリアが頷く。彼女の場合、本気で感心していそうな物言いなのでどうにも響きに違和感が残る。
しかし、それも言及すまいと自らに言い聞かせ、レ・グェンは重たそうに腰を上げる。
「それじゃ、行くとするか」
そうしてナイヅから聞いた通り三つ目の角を曲がると、今度は突き当たりまでひたすら歩く。
城内の奥へ奥へと向かっているのが、景色以外にも流れる空気の篭り具合で感じ取ったのだろう。ヴァンが鼻を鳴らすように天井を見た。
「……よくこんな入り組んだ道なんて覚えてられるな、あのおっさん」
その異界の魂が聞けば、眉を八の字にするであろう呼び方に、レ・グェンは苦笑気味で振り返る。先ほどの休憩の空気が残っているのか、彼らの周囲の空気も、会話を許す程度には柔和だった。
「ナイヅにとっちゃこの城は一時的に家だったんだからな。いくら入り組んでても、まともに使えなきゃその家の住人じゃないだろ」
「まあな…。そういやあんたも、実家は城だよな。どんな感じなんだ?」
軽々しく自分の過去について触れられたレ・グェンは、そのあまりの軽さに非難する気も起きず、至極まじめに顎を擦った。
「ま…今思えば一長一短だが…当時は城内全体を使ってたわけじゃないから、あまり不便には感じなかったな。城内でも、階級によって使う部屋が決まってるもんだし」
「そんなもんか」
「そうは言っても、さすがの俺もここには住みたくないけどな」
苦笑交じりにレ・グェンがそう付け足すと、アリアが驚くように目を見張る。
「どうしてですか?」
「そりゃあ……」
「ここが、七年戦争の最も血塗られた場所だからですよ」
何も知らない少女に対し、言い辛いことを率直に言ったエトヴァルトに、男二人はため息を吐き、肩をすくめた。
アリアのほうは、戦争の事実を直接は知らないものの、どこかしこで戦時中の酷さを聞いたことがあるのだろう。戸惑ったように俯く。
「……そう、なんですか。ここが……」
「ええ。…魔族の将たちが悠々と此処に住むのは、戦時中ここで苦しみながら殺されていった魔族の捕虜たちからすれば、皮肉なことでしょうね」
まるでその殺害現場を間近で見たような、且つ元皇国の将たちが冷酷であるかのような一方的な物言いに、宥め役のレ・グェンは首を振る。
「皮肉じゃなくて、上の連中の覚悟とか、自戒とか言ってやるべきじゃないのか?」
「それは将たちの建前だ。貴方は個人として親しいほうを選んでいるに過ぎない。あの戦争で犠牲にされた兵たちのことを、何も考えていない証拠です」
「それじゃ、あんたは連中が死んで罪を償えば、手放しで褒めたってのか?」
珍しく乱暴な口調に、うろたえていたアリアと諌めようとしていたヴァンが息を呑む。エトヴァルトも眉間に皺を寄せたが、一番当惑していたのは本人だった。
「…いや、すまん、言い過ぎた」
城内の兵士に見つかるかもしれないという緊張以上に鋭く冷たい空気が漂い、それが男にとって更に居心地の悪さを倍増させている。そのためだろう、レ・グェンは目線を落としたまま続ける。
「俺が親しいほうの立場を擁護してるっていうのは、本当かもしれないが…それでも、ここの連中は、あんたが考えてるような奴らじゃないと言いきれる」
事実、男は彼らと何度かは対面したことがあったし、彼らにある程度の愛着や尊敬は持っていた。
皇国の言葉添えによりプラティセルバ領を任されたことを切欠に、バージス王国は七年戦争時でも皇国寄りだったし、皇帝と父王が何度か親しげに会話をする姿はまだ男の記憶の底のほうにある。
そのおぼろげな記憶の中でさえ、ネバーランド皇国の皇帝の印象はいまだ強烈に残っている。
「なんせ、筆頭の執政官からして、ぴしっとした姉さんだからな。そんな上司に立たれちゃ、下の者がだらしないわけにはいかないだろ」
あの女性が、この城で殺された兵士たちのことを顧みず快楽に浸る生活など、冗談でも想像できない。それに付き従う一騎当千の将たちもまた然り。
「そうであればいいのですが…」
エトヴァルトは皇帝に謁見した際、あまりいい印象を持たなかったのだろう。相手は戦争の責任者であり、彼にとっては命題であるヒトゲノム研究に積極的な援助を貰えなければ、そう思っていても納得できる。
「その人が…リーザさんが説得しなきゃいけない人なんですよね」
アリアの深刻な表情に、ヴァンは複雑な表情で俯く。
「ああ。だがこんな話、信じてもらえるとは思えないんだよなあ…」
冥界から甦った魔王が、魔族の高官たちの誰かと会うためにこの城を攻めたなど、整合性の欠片もない。上手くできても自分たちの保護くらいだろうが、それだけでも成功率どころか遭遇率もまともに考えて低い。
当然だ。彼らはどれほどリーザが件の執政官と親しいのかを知らない。そう思っていても、不思議ではない。
しかし。
「信じますよ。どれほど滑稽な話でも、リーザの言であれば」
薄暗い石畳の廊下に、明朗な男性の声が響き渡る。
不意に彼らが声のする方向を見ると、そこには一人の男性らしい人影があった。その手には剣がかけられているものの、まるで殺気は感じられない。
しかし、敵に見つかればどんな態度であろうと黙らせるに限る。そう思ったのか、反射的にヴァンが人影に駆け寄った。
「待て、罠かもしれな…!」
レ・グェンがそう言うよりも先に、ヴァンの拳は熱を持つ。
が、人影は悠然とそれを受け止めた。動いたように見えなかったのに、実際今も動いているようには見えないくらいなのに。
「チッ!」
大剣で一撃を防がれると、重い反撃を避けるためヴァンは素早く後退する。しかし、相手は自分の懐に入ってきた相手に、反撃もしようとしなかった。
それは絶好の機会を逃しても、彼ら侵入者を仕留めれる余裕があるのか。それともこの先に一歩も進ませる気はないという意思表示なのか。
不動の人影は、明らかな敵愾心を持って自分の姿を見極めようとする若者たちを冷静に見据えていた。
「――様、何処に!」
人影の後ろから複数の声と足音が聞こえてきて、彼らはいよいよ焦る。逃げようと踵を返しかけたが、それよりも先に人影の男は張りのあるバリトンで彼らを拘束せしめんとする。
「侵入者を発見した。今、足止めをする」
ゆるりと彼らを追うように動き出したその人影が、廊下の明かりに照らされ、ようやく人間としての立体感を持つ。
整えられた緩やかな金髪と青い瞳に、貴族的な顔立ちをしたその男性のその相貌は、レ・グェンの微かな記憶を呼び起こす。
「ギュフィ様、お待ちを!」
兵士の声が、硬質な闇に響いた。
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