「ほう…陛下からの勅命を受けた者の顔には、到底見えんな」
その上、嫌な顔に逢うことになろうとは、本気で今日は運がないらしいとアシュレイはつくづく思わされた。
彼の眼前に立ち塞がるのは、彼より少し年上かと思わせる魔族の青年である。彼と同じ身軽な士官服の上に、白い外套をこれ見よがしに纏っており、魔族にしては珍しい華やかな金髪が黒大理石の廊下に映える。そういえば魔王も大戦時には白い外套を羽織っていたことを思い出しながら揃いの衣装にしたいのかと内心鼻で笑って、アシュレイは軽く会釈して通り過ぎようとした。
「そのような態度で陛下の大切な客人の持て成しなど出来ると思うか」
相変わらずの突っかかりように、アシュレイは辟易する。しかし顔は平常を装ったまま、彼は冷ややかに言ってのけた。
「努力致します。客人を待たせたくないので、失礼ですが退いて頂けますか」
その態度がやはり気に食わなかったのか、金髪の魔族は軽く眉を歪めて腕を組んだ。彼の要求は無視されたらしい。
「無愛想な貴様に任せるとは、閣下も見る目がない。私が建言すべきだな」
「どうぞご勝手に。陛下に報告された後でなければ幸運でしょう」
「陛下にご報告した後のほうが、俺には幸運だ。陛下に直接申し上げる機会が出来上がるのだからな」
「左様で」
この先輩の態度は、彼の知る限り不変だった。
同僚から聞くところによると、どうも自分より高位に生まれた魔族に対しコンプレックスを持っているらしい。アシュレイはネウガードの中でも高位に位置する魔族の生まれで、人間に踏みにじられる屈辱は味わったことがあっても貧困の経験はない。だからこそこの先輩魔族に目をつけられた。その理由も、この眼前の魔族は努力でここまでのし上がって来たから生まれながらに楽な地位にいる者に憎悪を抱いているからだと言うが、自分より低位な魔族に対しては見下し気味なのだから、何に対しても平静ではいられない性格なのだろうとアシュレイは冷静に捉えていた。一言で言えば完全実力主義の猪頭だ。なるたけ相手をしないに限る。
「では、失礼ですが退いて頂けますか。自分に任されたものは内心どう思おうが遂行すべきだと考えておりますので」
口調は穏やかに、しかし確実にこれ以上相手をするつもりはないという明確な意思表示を示しながら、アシュレイは眼前の男に言い放つ。しかし、苦労した経験がないくせに、自分を差し置いて魔王からの勅命を受け続ける後輩に対する嫉妬がわだかまる男には、焼け石に水の行為だった。
「陛下からの勅命を、貴様は不承と思うのか!」
「思ったところで、行動に移すような真似は致しません」
鬼の首を取ったかのような物言いに、さすがのアシュレイも眉間の皺を隠しきれなかった。それから、さすがにこのまま相手をし続けると、案内に支障が出ると考えて、金髪の魔族と廊下の隙間を縫うように動く。
「自分こそが陛下の勅命を受けるに相応しいとお考えならば、もう少し声を抑えたほうが宜しいですよ。下品でならない」
「なっ……!」
動揺を通り越し、怒りに震える魔族を完全に振り切ると、アシュレイは歩く速度を確実に速めながら角を曲がる。最悪の場合、あの先輩魔族に追いつかれて決闘でも申し込まれてしまうと、任務どころではなくなってしまう。そうなれば、上司だけではなく、魔王にも影響がでてしまうことになるだろうと思うと、冷や汗ものである。
しかし、ありがたいことに先輩魔族は追いついてこなかったし、走ってくるような足音も聞こえなかった。思ったよりも大人だったと、内心アシュレイは先輩魔族を見直した。尤も、彼の中で先輩魔族の評価は下がるところまで下がっていたため、後は上がるしかない状態にあったのだが。
そうして、早歩きで向かった先に、緋扇の部屋はあった。無機質な黒大理石の回廊の柱に一輪、真紅の薔薇が目印のように挿されている。本来は燭台置きなのだろうが、その柱の横にある扉を示すには、なかなか気の利いた活用法だった。
アシュレイは軽く襟元を正すと、ノックを二回、短く響くようにする。それに応えるかのように、一呼吸分の沈黙のあと、ゆっくりとドアノブが動き、奥から木苺のような色の髪が覗いた。その侍女も、高位魔族の生まれに違いない。侍女の中でも上位の者しか許されぬ私服姿の女性は、彼を一瞥して整った唇を薄く開けた。
「案内の方ですね」
「そうだ」
短く頷いたアシュレイの視線の先には、娘がいた。髪を丁寧に結われ、レースをあしらった漆黒のワンピースに薄桃色のコルセットで、凛々しくも華やかな印象となる。
身につけるものだけでここまで印象が変わるものかと思ったのは一瞬で、相も変らぬ鋭い眼光を受けると、途端に彼は思考が切り替わった。既に自分に向かない任務に対する引け目はなく、自分でも驚くほど冷静に、娘の視線を受けることだけに集中する。
ある意味でこの娘は、あの先輩魔族よりも気が抜けない相手だと、アシュレイは密かに実感していた。
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