大理石と赤い絨毯が広がる廊下に、気を失った多くの兵士たちが、死屍累々と見紛うばかりに並べられている。エトヴァルトの魔術の結果がこれだった。
「物騒な装飾品だな」
苦笑を浮かべながらそんな軽口を叩くヴァンに、髪の乱れを直したケイが呆れた吐息をつく。
「そんなことを言っている場合ではないでしょう、ヴァン」
「へいへい」
勝手口を占拠した彼らは、兵士たちを一つところにまとめると、そのまま縄でがっちりと手足に口も付け足し、しっかりと拘束した。
それが済めば早速行動開始――といきたいところだが、あの魔術の影響で、全員が自分たちの行くルートを忘れてしまっていたため、彼らは再びナイヅの口上で経路を再確認する羽目になったのだ。
ちなみに口頭なのは、証拠を残さないためである。手書きの地図など持ってしまえば、折角の退路が相手に分かってしまう可能性が高い。そうならないために、今は耳だけでルートを覚える集中力を求められていた。
「宝物庫…」
ブリジッテが不意に頭を上げる。その呟きに何も感じ取らなかったのか、ナイヅは頷いて再び話し始める。
「ああ、君たちが向かう退路側は宝物庫を過ぎたところにあるんだ。あそこはそこそこ広めだから、部屋としては目立つと思う。さっき言った通りに進んだら見えるはずだから、いい目印になるだろう」
「ふぅん…」
しかし、お付きの二人はブリジッテの瞳の輝きに、懐かしいものを感じていた。その懐かしさは別にいい思い出などではなく、大概が彼女が無茶を言い出したり、後々大変なことになったりする前触れに似た、嫌な種類の懐かしさだが――。
「なあケイ」
「なんですか?」
「オレはお嬢とは反対側の退路に行くんだけどさ、お前は?」
「言ったでしょう。リーザ嬢のバックアップです」
「そっか」
「そうです」
二人は、心の中で密かに、恐らくブリジッテのわがままに巻き込まれるであろう仲間の一部に黙祷を捧げた。自分たちが傍にいないのは良いのか悪いのか、それはひとまず考えないことにして。
「それじゃ、皆、頼んだぜ!」
レ・グェンの発言が一際大きく聞こえて、全員が了承したように動き始めた。
まず最初に動き出したのはレ・グェンを筆頭とした退路確保組だった。
「さっき決めてた進行順、あんまり意味がなかったみたいだな」
苦笑しながらレ・グェンがそう言うと、エトヴァルトが否と首を振る。
「何事も計算通りに行かないのですから、そう自虐的になる必要はありません。この場合は、天魔が使えるだけでも収穫とするべきでしょう」
天魔は魔王が以前言ったとおり、この大陸に根付いた魔術系統である。四源聖の彼らは、禁術扱いされた今でも秘密裏に天魔の術を継承してきたのだろう。それは法の観点から見ればよくない話だろうが、現在の彼らには天の助けに等しい。
「…じゃあ、結局魔術が使えるようになった訳ではないんですね」
アリアが軽く落胆したように俯く。自分がお荷物ではなくなるのを期待したのだろう。
「…居館にまで侵入者が来るとなると、奴らも武装を始めるだろう。いくら武将と言えど、全員禁術を使える訳ではあるまい」
「そうなれば、この城内にかかる魔封じが解けることになりまする。時間の問題と思えば、そう落胆する必要はないかと」
デューザとカルラの指摘に、アリアの表情が少し和らいだ。
「じゃあ、魔封じ解除は気軽に願っておくとして、もうそろそろ行くとするか」
「はい」
「おう」
「分かりました」
速やかに動き始める彼らの後姿を見送ると、今度はリーザたちだ。
「じゃ、よろしくねんリーザ」
「行動は迅速且つ端的でよろしいですね?」
「ええ、二人ともお願いするわ」
リーザはシオラとケイにそう挨拶するが、ここで一人欠けていることに気づく。どこに行ったのやらと周囲を見回すと、案の定すぐに見つかった。
「天使さまとこのまま離れちゃうなんてイヤぁ~! あたしも一緒に行くぅ~!」
甘ったるくわざとらしい泣き声を挙げるゼレナに、三人は一度は入れた気合いをものの見事に抜かれた気分になった。くじ引きで決まったときから不安に思っていたが、その期待に応えてくれる足の引っ張りようにはある意味で見事と言える。
しかし、足を引っ張る彼女の執着する理由が、宥め役でもあるのが不幸中の幸いだった。イサクはそっとゼレナの頭に手をやると、相変わらずの笑みを浮かべて彼女を見た。
「ゼレナさん、どうして貴方は離れるのが嫌なのですか?」
「だって天使さまと一緒じゃなきゃつまんないし…。それにそれに、ここってすんごい危ないんでしょ!? だったら、もう天使さまと会えないかも…」
いくら危険と言ってもそれはないだろう、と呆れたリーザたちだが、イサクはゼレナの思いを汲み取るように優しい表情で、彼女の肩に手を添えた。
「安心してください。私は貴方の希望を裏切るつもりはありませんから、また無事に会えますよ。それに、私は貴方を信じています」
「信じる…?」
「ええ。貴方は必ず自分に課せられたことを成し遂げると。リーザさんがこの城主を説得するために、貴方があの方々と協力し、数多くの障害を回避し、乗り越えてくれると」
「天使さま……」
心の底からその言葉に感動したらしいゼレナの背後では、よくもまあ巧く言ったものだと半ば感心しているリーザたちがいたのだが、彼女はそれに全く気づいていなかった。
信頼されて舞い上がったゼレナは、イサクの体から手を放すと勢い欲方向転換する。
「いつまでぐずぐずしてんのよ! 天使さまから期待されちゃったんだから、とっとと行かなきゃいけないでしょ?」
色々と言いたいことはあったが、彼女たちは何も言わずにいた。それが最も事を平和に進められる方法だからだ。
「ええ、それじゃあ行きましょうか」
「じゃ、あたし行ってきます、天使さまっ!」
「ええ、また会いましょう」
「はいっ」
大きく手を振りながら廊下の奥へと進んでいくゼレナの背中を見送って、ナイヅは振り返り同行する仲間たちを見た。
「俺たちも行きたいところだが…どうやら彼らはここを通っていないみたいだな」
正門が使えないのなら、壊していくのが魔王流だろうと思うと、それも当然かもしれない。実際、わざわざ通用口など探す優しさなどはなさそうだ。
「おい、お前も氷使いだろ? なんか気配とかわからねえもんなのか」
急に頼られたカルラだが、きっぱりと首を振った。
「先ほどから試してはいるのですが、魔界粧と天魔は同一のものではありませぬ。恐らく、ゼロス殿やナイヅ殿が、リトル・スノー殿の気配を頼りに探す他ないかと…」
「めんどくせえな…」
首を鳴らすゼロスだが、別にその考えを放棄する訳ではないらしい。余程、魔王を痛い目に遭わせたいらしい。
目を細めて神経を集中させるゼロスを見ると、ナイヅも同じく神経を集中させて、あの白銀の女性の気配を感じ取ろうとする。そんなときに、彼女の持つ膨大な魔力は一役買ってくれた。
「……二階から行ったな」
「ああ、そうみたいだ」
「階段は分かるか?」
「知っている。急ごう」
手短なやり取りが続くと、ナイヅを筆頭にしてゼロス、カルラ、デューザの三人が小走りでそちらに向かった。
そして最後に残ったのはブリジッテ、イサク、ノエル、ファイルーザの四人。良かれ悪かれマイペースな三人と、弱気な一人というあまりバランスのよくない組み合わせだった。
「じゃ、あたしたちも行くわよ。できれば武将なんかとぶつかりたくないけど、こんなところでだらだらしてたらまた兵士が来るだけだもんね」
そう言いながら勇み足で目標地に向かうブリジッテだが、その背中に女狐めいた女の吐息がするりと絡まった。
「ねえ、ブリジッテさん?」
「ひゃっ!? な、なによ急に!」
「あたくし、少し思ったのですけど、ブリジッテさんはアイテムハンターを生業にしていらっしゃったのですわよね?」
「べっ、別に休業したつもりはないわよ!」
ブリジッテはこの女があまり得意ではない。理由があるなら恐らく彼女が自分の理想図だから――などという幼稚な嫉妬心が原因だろう。
事実、ブリジッテの理想通り、すらりとした容姿に女性としての妖艶さと優雅さを併せ持つ女は、男たちをたちまち蕩けさせるような視線を彼女に送った。
「でしたら、今も現役でアイテムハンターでいらっしゃるおつもりなのですね?」
「そ、そうだけど…なんか文句でもあるの!?」
「いいえ? けれどアイテムハンターたる者、かの有名なワルアンス城に忍び込んでおいて、何もせずに過ごすのはどうかと思っただけでして…」
その物言いに、ノエルとブリジッテの表情が変わった。ブリジッテはやや邪悪めいた笑みを浮かべ、逆にノエルは更に怯えるように他の三人を見ている。
「はっきり言えばいいんじゃないの? あんたもここにあるお宝が目当てなんでしょ?」
「あら、目当てだなんてとんでもない。けれどそうですわね…あたくしが知りたいのは、ワルアンス城の宝物庫とはどんな秘宝を取り揃えているのかどうか。その中に興味があるものかどうかは、さて置きましてね?」
ファイルーザの笑顔に、ブリジッテも同調するような企み笑いを浮かべた。
「あらそう。あたしも丁度知りたかったところだから、あんたに協力してやらないこともないわよ」
「ええ、鍵開けならば熟知しておりますから、是非その警備をお願いしたいところでしたの」
相手のほうが一枚上手である。一番に宝物庫に入り込めないことに舌を打ったブリジッテだが、協力者がいると思えば悪くない状態だった。
「じゃ、行くわよ。お宝は逃げやしないけど、警備兵が増えるのは論外だものね」
「ええ、その通りですわ」
欲望に燃え上がる女たちの背中を見ながら、イサクは傍にいる少年に微笑みかけた。
「私たちも行くとしましょうか」
「で、でもあの人たち、さっき…!」
「宝物庫を開いても、彼女たちが何も盗まなければ、その場合は何も起きなかったことになります」
こちらも随分腹黒いことを言っておきながら、イサクは羽も使わず歩き出す。その後姿をぽかんと見送っていたノエルだったが、自分ひとりが取り残されていると気づいて、慌てて駆け出していった。
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